山鉾巡行 4

9番目は「月鉾」です・この鉾の鉾頭には新月型(みかづき)は付いています。

大勢の曳子に引かれて「月鉾」が御池通りに入って来ました。やはり鉾は山と違って貫禄があります。山の中には鉾と変わらないものもありますが・・・

この月鉾は『古事記』によると、伊弉諾尊が黄泉の国から戻り、禊祓いをされたとき、左眼を洗って天照大神、右眼を洗って月読尊、このあと、鼻を洗って素戔鳴尊を生んだ。月読尊は夜を支配した神だが、水徳の神でもあり、月鉾は、この故事に由来する。鉾頭に、横40センチ、上下24センチの金色の三日月。真木の中ほどに天王様を飾った天王台の下には籠製の船が真木を貫いてとり付けられる。元治元年の大火にもわずかに真木を失っただけだったとあります。

鉾の先頭に乗っている音頭取りの独特な掛け声と扇子まわしによって鉾は進んでいきます。

10番目は「孟宗山」です。中国・24孝の1人、孟宗は、母親が病気になったため、好物のたけのこを求めて竹林を歩きまわったが、寒の季節で1本もない。疲れて座り込んでしまったとき、たけのこが出、母親は元気を回復した話からきている。町名が笋(たかんな=たけのこの意味)町というのもこれに由来する。白綴地に雄渾な筆致で孟宗竹林が描かれた見送りは、竹内栖鳳の筆。極彩 色が多い山鉾のなかで、墨一色が異彩を放っています。

たけのこを採る孟宗の人形が乗っています。

11番目は「太子山」です。この山は聖徳太子を祀っています。

この山鉾の真木は松が通例だが、この山のみ杉を立てる。聖徳太子四天王寺を建立するさい、自らが良材を求め山に入り、老人に大杉の霊木を教えられ、六角堂をたてたことに由来する。太子は、日本の仏教の基を築いたことで知られ、宗派をこえての「太子信仰」が民衆の間に広くあった。山に飾る太子像は、江戸時代の作。トレードマークの鬟(みずら)に髪を結び、ふっくらした顔だち、白二重小袖姿で、高貴な印象をたたえています。

これは12番目の「木賊山」です。木賊を刈る翁をあらわしています。

この山は京都市下京区仏光寺通西洞院西入ル木賊山町の山。世阿弥謡曲木賊」から着想され、木賊刈りの老翁が別れた愛児を思いながら舞う場面を表現している。等身大の老翁像は足台に元禄5年(1692)の墨書があり、右手にかま、左手に木賊を持つっています。