山鉾巡行 3

時間も11時30分お過ぎ快晴のため太陽うがギラギラ輝き気温も高くなってきました。
今度は5番の「函谷鉾」(かんこほこ)です。

鉾は大きく背が高いので、交差点での90度の方向転換は大変です。

この「函谷鉾」は中国古代史話、孟嘗君の故事に基づく。戦国時代、斉の孟嘗君は秦の昭王に招かれ、宰相に重用された。しかし讒言によって咸陽を脱出して、函谷関まで逃げたが、関の門は鶏が鳴かねば開かない。配下が鶏の鳴き声をまねたところ、あたりの鶏が和して刻をつくったので見事通り抜けたという。真木は22メートル。鉾頭に、三角形の白麻を張り、先頭に三日月が上向きにとりつけられています。

曳手の人も暑いので汗だくです・・・

6番は「油天神山」です。この山の由来は
町名(風早町)の由来であるお公家さん・風早家の屋敷があり、この屋敷に祀られていた天神=菅原道真を祀ったという言い伝えがある。山は、立派な朱塗りの鳥居が特徴だ。天神さんと関係深いのが梅の花。松と一緒に立てられた紅梅が、華やかな雰囲気をかもしだす。見送りの毛綴(けつづれ)が名高いが、山所在地近くで生まれた故梅原龍三郎画伯の富士山の絵をもとにした綴になっています。

7番目は綾傘鉾です、鉾と名が付いていますが、山のように見えますね〜
徒歩の傘鉾として応仁の乱以前のふるい鉾だが、元治元年に焼けて以来、明治10年代に一時復活したもののふたたび中断。ようやく昭和54年、巡行を再開した。形の上でも変転を繰り返す。江戸期、どうした理由からか、徒歩から引き鉾に変化、御所車風の屋根に風流傘が乗る古図が残る。明治の復活では再び徒歩に。鬼形の踊り手を中心に、棒振り、鉦、太鼓のはやしかたが行列します。

8番目は占出山です。

この山は、釣り竿を持った人形は、神功皇后の姿をかたどっている。九州・肥前の川で、鮎を釣って戦勝を占った伝説が由来。この山には「あいわい山」の別名が明治まで語られていたが、町衆に人気のあった山であったことをうかがわせる。色鮮やかな日本三景を描いた胴掛けが特徴です。