祇園祭 2

祇園祭2011年7月17日の山鉾巡行の順番も決まりその順番で当日進んでいきます。この巡行の順番は「長刀鉾」を除いた鉾や山が毎年くじを引いて決まります。
また、祇園祭の歴史は千百余年の伝統を有する八坂神社の祭礼で、貞観11年(869年)京都をはじめ全国各地に疫病が流行し、当時の人々はこれを牛頭天王の祟りであると恐れ、二条城の南ある神泉苑に、当時の国数にちなんだ66本の鉾を立て、祇園の神を祭り、疫病退散を祈願してはじめられたとあります。
今年は土曜日が宵山で巡行が日曜日とあって、今までにない人出が予想されます。
そこで、昨年は巡行風景の全てを紹介しましたが、今年は巡行風景の撮影は三連休の真ん中になるので無理と判断、巡行風景は止め、今朝15日朝8時ごろよりお昼前まで鉾や山の建っている場所まで行き写真を写してきましたので巡行順番に紹介していきたいと思います。

これが、毎年1番を行く「長刀鉾」(なぎなたほこ)です。烏丸四条東入るにあり、鉾の先には疫病邪悪を払う長刀が付いています。

2番「霰天神山」(あられてんじんやま)新町錦東入るにあり,この山は昔京都に大火があった時霰が降り猛火が消え、天神様が降りてきたので、それを祀ったものです。

3番「孟宗山」(もうそうやま)四条烏丸上がるにあり、この山は「旬山」ともいい、病身の母を養う孟宗が、雪の中で母がほしがる筍を掘りあてた姿をあらわしています。

4番「足刈山」(あしかりやま)西洞院錦西入るにあり、故あって妻と離れて芦を刈る老翁がやがて妻と再開をはたす夫婦和合の姿があるのですが早朝のため夫婦の姿はありませんでした。

5番「函谷鉾」(かんこほこ)四条烏丸西入るにあり、鉾の名は、中国戦国時代斉の孟嘗君が家来の鶏の鳴き声によって函谷関を開けさせだ脱出出来たと言う故事によります。

6番「油天神山」(あぶらてんじんやま)油小路仏光寺上がるにあり、朱塗の社殿に天神像を安置しています。

7番「四条傘鉾」(しじょうかさほこ)四条西洞院西入るにあり、綾傘鉾と同じ形の傘鉾で、傘の上には御幣と若松が飾られる。

これは早朝の四条通りです。「函谷鉾」と「月鉾」が見えます・・・

つづく