知恩院参拝 4

大方丈などの参拝を終え境内の東の高みにある、12月31日NHK行く年くる年でおなじみの除夜の鐘でご存じの鐘楼拝観に行きました。

これが鐘楼ですが平素は柵がしてあり釣鐘の下に入ることはできませんが我々は特別に入れることになりました。

この釣鐘は1640年に造られ高さ3.3メートル、口径2.8メートル、重さ約70トン。知恩院の釣鐘は、京都方広寺、奈良東大寺と並ぶ大鐘として知られています。
この大鐘は寛永13年(1636)、知恩院第32世雄誉霊巌上人のときに鋳造されたものです。当初この鐘を吊る環が、何度造り替えてもその重さに耐えかねていたところ、ある日、刀匠正宗・村正らが知恩院へ参詣の折り、この事を聞き力をあわせて精魂込めて鋳造し、ついにこの大鐘を吊るすことができたと言われています。

この大鐘の厚みは30cmあり、支える鐘楼は延宝6年(1678)、知恩院第38世玄誉万無上人のときに造営されたもので、国内最大級の大鐘を支えるにふさわしく、静かななかにも堂々とした佇まいを見せています。

この大鐘が鳴らされるのは法然上人の御忌大会(4月)と大晦日の除夜の鐘、成人式(1月)の折だけですが、とりわけ除夜の鐘は親綱1人・子綱16人の17人で撞き、京都の冬の風物詩となっています。また余談ですが世界的に有名な物理学者XX博士がこの鐘の中に入り突いてほしい言われたが、突かば鼓膜が破れるのでと言うと大丈夫と言われ、突いたところ、鐘の中から平然と出てこられたので尋ねたところ、音は右から左、左から右に行く交わった中心は無音になり大丈夫だったと言う話があるそうです。

次は「経堂」です。重要文化財である経蔵です。三門と同じ元和7年(1621)に建てられたもので、その建築様式は、唐様と和様を取り入れた、型にはまらない造形美を見せています。

これは「経堂」の入口に祀ってある、中国の「うだいしさん」です。

これは徳川二代将軍秀忠公の寄附によって納められた宋版大蔵(一切)経約六千帖を安置する輪蔵が備えられており、その輪蔵を一回転させれば、大蔵経を読誦するのと同じ功徳を積むことができるといわれ、チベットの「マニ車」に似ています。

宋版大蔵の下には、このような彫り物がありました。

経堂の内部は、外側の静かなたたずまいとは対照的に鮮やかな色彩で彩られており、狩野派による天井や側壁の絵等も貴重なものがあり感動しました。分かりやすくするため一部知恩院のHPから引用し説明しました。これが9日の知恩院参拝で、感激と感動の連続でした。おわり