旅行記「ラオス10」

朝からの「ジャール」観光を終え次の観光である「ルアンパバーン」に向かいますが、「ルアンパバーン」までは飛行機の便が無いので陸路です。ポーワサンからルアンパバーンまでは約200kmあまりあります。道路は山道で標高1000m〜2000m級のカーブの多い山腹を走っていくので8時間ほどかかるようです、それから前回、見てもらった石壺ですがどれくらいの大きさだったか分かりにくかったと思いましたので我々が映った写真を入れましたので石壺の大きさを想像して見て下さい。


これは原っぱの中にぽつ〜んと建つ「シルク工場」があるということで立ち寄りました。ここの経営者はイギリス人の女性のようでした、ここでは現地の若い女性の従業員7〜8名が原始的な(日本では数十年前)方法で「まゆ」から糸をつむいでいました。

これは一応機械ですが時代遅れのようなやりかたで糸をつむぎ、いろいろな物に加工して販売していました。

そして「ルアンパバーン」に向け走っているこの山岳部の峠は、以前テロ攻撃があったところで外務省の危険情報に指定されていところでした。峠を降りてくると少し開けたところに出てきました。そこには茅葺の住居がありました。

ここは原始的な住居で電気、ガス、水道など全くありません、この部落はフーピャン村と言い「ヤオ族」の家が100軒ほどが建っていました。ラオスにはラーオ・ヤオ・ランテン・モン・タイダムと言った部族が住んでいます。一番多いのは「ラーオ族」だそうで、その他は少数民族です。車を止めて部落に入って行くと今までいた子供たちが、急に蜘蛛の子を散らしたようにいなくなってしまいました。なぜだか分りますか?私も海外に良く出かけ現地の子供たちと会いますが、他の国では子供たちの方から寄って来のですが?

そうしていると現地のガイドが家の方に向かって話しかけましたら一人また一人と家の中から出てきました。

子供をおんぶした子も・・・

ガイドが声をかけたのでぞろぞろ出てきました。逃げた原因をガイドに尋ねると以前フランス人やアメリカ人に虐待されたので、知らない人を見ると隠れるのだそうでした。

持って行った鉛筆やノートなど渡しましたが、最初は警戒してなかなか受け取ってくれませんでした。

ガイド達と分からないラオス語で話していると、だんだん親しくなり笑顔が出てきました。

そして子供が捕まえてきた「ねずみ」を私に見せ、手招きで「こっちへ来い」と言うのでついて行くと檻の中にいる「ハクビシンの子供」に捕ってきた鼠を食べさせました。

そして仲良くなった子供たちに見送られながらルアンバパーンに向け出発しました。