旅行記「ラオス9」

これはラオス最大のミステリーエリア「ジャール平原」です。1931〜2年に、ここを発見したフランス人は「ジャール平原Plaine des Jarres]と呼びました。ここは1964年から75年の間、インドシナ戦争に介入したアメリカ軍とラオス国軍の連合軍がパテート・ラオ(現政権)が展開するシェンクワンに投下した爆弾は7500トンにもおよび、そのおびただしい量の爆弾跡が残っていました。また草むらなどに入ると不発弾や地雷が残っている可能性があるので人の通った後以外は歩かないようにとの注意がありました。

これは「ジャール平原」入口です。なにか注意書きだそうです。

ここが入口で砲弾などが並んでいました。

この平原のいたるところに壺状の石があります。この壺はサムヌアと言うところの物を合わせると500個ほどあるとか・・・

この大きな石壺は、いったい誰が何のために・・・そしてどのように壺をいくつも作ったのか、今だに謎だそうです・・・

これは「石棺」として使われたのではないかと言う説もあります。

形もいろいろあります。

これはかけたじょうごのような口をしています。

これは蓋付きです。

少し先に洞窟がありました。この中は広く上に穴があり煙突状になっており人骨が発見されていることから火葬場だったのではとも言われています。

これは洞窟上部の穴です

洞窟の中から見た入口です。

このジャール平原は現在「世界文化遺産」に申請中とかでした。