山鉾巡行2

この祇園祭貞観11年(869)疫病の災厄除去を祈って始まって以来、発達を重ね護持伝承されてきました。今日のような様式と組織とに祇園祭がほぼ定着したのは応仁の乱後、明応9年(1500)にやっと祭りが再興した時以来であるとされています。
この祭りに参加する鉾や山の進行の順番は毎年京都市役所で長刀鉾を除いて、くじ引きが行われ巡行の順番が決定します。
今日は2番の「孟宗山」(もうそうやま)からです

この山は筍山ともいい、病身の母を養う孟宗が、雪の中で母がほしがる筍を掘りあてた姿をあらわしています。

3番「木賊山」(とくさやま)です。この山は、わが子を人にさらわれて一人信濃国伏屋の里で木賊刈る翁をあらわしています。

4番「油天神山」(あぶらてんじんやま)です。この山は油小路にあり、朱塗りの社殿に天神像を安置しており、この名で呼ばれています。

5番「函谷鉾」(かんこほこ)鉾の名は、中国戦国時代斉の孟嘗君が家来の鶏の鳴き声によって函谷関を開けさせ脱出できたと故事によるものです。

この「函谷鉾」には人形の稚児が乗っています。

6番「霰天神山」(あられてんじんやま)京都に大火があったとき、霰が降り猛火は消えたが、そのとき天神様が降りてきたので祀ったのがおこりです。