山鉾巡行 9

巡行も残すところ5となりました。

これは29番「南観音山」です。
この山は俗に「北観音山の観音様は男だが、南観音山は女性なので、南では宵山の夜更けに翌日の巡行の無事を祈って“あばれ観音"の行をされる」といういい伝えがあり、「あばれ観音」の別名がある。楊柳観音像と善財童子像を安置する。楊柳観音は、三十三観音の筆頭とされ、姿を変えて、手に柳を持ち薬師観音と同様に衆生の苦難を救う。この山の楊柳観音は頭から袈裟をつけ趺座(ふざ)しています。

30番目は「鯉山」です。中国の龍門の滝をのぼる優姿をあらわし、前掛けや見送りは16世紀のベルギー製のタペストリーで、重要文化財に指定されている。ギリシャ叙事詩に題材をとって人物や風景が描かれており、山鉾きっての貴重なものだ。人物でなく、魚をテーマにするのは山のなかで唯一。竜門の滝をのぼる鯉は竜になるとの言い伝えで、木製の鯉が勢い良く水しぶきを上げる様は勇壮です。

31番目は「八幡山」です。この山は八坂さんの祭りに石清水八幡をまつるのは不思議だが、当時それだけ八幡さんが信仰されていたあかしだろう。社殿は江戸時代後期天明年間の作と伝えられる総金箔押しの華麗なもの。前面の鳥居の笠木のうえに、向かい合って八幡さんのシンボルの鳩が2羽、止まっているのが愛らしいです。

32番目は「役行者山」です。 鈴鹿山と共に山鉾町最北の山。役行者(えんのぎょうじゃ)は自ら修行するだけでなく、庶民の中に入って医療などにつとめた僧。古くから民衆に人気があった。人形3体はその役行者をまん中に、鬼の顔の一言主神、葛城女神。三者の関係はさだかではないが、者が大峰山葛城山のあいだに橋を架けようとして、鬼を使ったとの伝説によるらしい。人形が多いだけ山のサイズも最大級です。

最終33番を行くのは「大船鉾」です。ご神体だけでした。この鉾はかつて凱旋(がいせん)船鉾と呼ばれ、現在巡行している船鉾のほかにもう一基あった船形の鉾。1864年の蛤(はまぐり)御門の変で焼失して巡行に参加できなくなった後は、神功皇后のご神体や豪華な懸装品などを飾る「居祭り」を130年間続けてきたが、高齢化や人手不足で1994年を最後に中止。2006年、懸装品を展示する「飾り席」が地元の四条町内で復活し、1997年に青年層が囃子方を復活させた。2014年の復興を目指しています。
これが平成24年の山鉾巡行でした。久し振りに最初から最後まで写しましたが、時間も1時30分近くなり暑さで頭がぼ〜っとしました。何時もぼ〜っとしているって、そうですね〜もっと写真を見てほしかったのですが、ブログの容量の関係でカットさせていただきました。鉾、山の解説は正確を記すためHPのものを使わせてもらいました。
山鉾巡行  おわり