山鉾巡行 6

丁度半分の巡行が通過し、お昼になってきました。太陽はジリジリと照りつけてきます。

17番目は「鶏鉾」です。引綱を引く真っ赤な曳手の菅笠が印象的です。

 中国古代の伝説「諫鼓」、天の岩戸の永世の長鳴鳥の故事にちなむとも。「諫鼓」は、暦を制定した伝説の聖天子・尭帝が、宮廷の外に太鼓をすえ、政治に不満があればたたかせ、木を立てて、訴えを書かした。世は治まり、太鼓は苔を生じて鶏が巣をつくったという。鉾頭は、紅白を互い違いに巻いた三角枠で、なかに同の円板が挟まれる。3つの角には紺いろの苧束の房がつけられる。中ほどに舟を担いだ人形が飾られています。

18番目は「白楽天山」です。唐の詩人、白楽天と道林禅師が乗っています。

2体の人形の唐冠を付けたほうが白楽天、帽子(もうす)をかむった僧形が道林禅師の像。長恨歌などの名詩で有名な中国・唐の詩人、白楽天が道林禅師に仏法の大意を問いかけているシーンを表している。この山も過酷な運命をたどっている。天明、元治の大火で胴組や人形の胴を失い、そのたびに巡行中断と復元を繰り返しています。

19番目は「山伏山」です。ご神体の山伏が乗っています。

山に飾る御神体が山伏の姿をしているので、この名前がある。前(さき)の祭りでは一番北の山。役行者山と同様、当時民間信仰として人気のあった修験道・山伏から着想された。正面の水引は、雲中の竜、青海波と麒麟を精緻な刺しゅうで描いた中国からもたらされた豪華なもの。見送りも中国・明時代のものとされています。

20番目は「保昌山」です。この三つの山はみんな赤い傘を挿しているのが似ています。
この山は平井保昌が、和泉式部のために紫宸殿の紅梅を手折ってくる姿です。

旧名に「花ぬす人山」という。平井保昌は藤原大納言方の孫で、致方の子で武勇にすぐれ、和歌も堪(たん)能であった。妻は、和泉式部。恋した女官から紫宸殿前の梅を手折ってほしいと頼まれた保昌が首尾よく一枝を得た。しかし北面の武士に発見され、射かけられた矢が頭をかすめ、保昌はほうほうの態で逃げ帰ったという。盗難除け、縁結びのお守りが授与されています。