葵祭り 2

葵祭りの起源は資料によりますと、今から約1,400年前欽明天皇(在位539〜571)のころに凶作が続いたため、賀茂皇大神の崇敬者であった卜部伊吉若日子を勅使として、4月中酉の日に馬に鈴をつけ、人に猪頭をかぶらせてこれを走らせ祭礼に行ったところ、風雨はやみ五穀は豊かにみのり安泰になったとあります。

また、この行列には大きく分けて「本列」と「斎王代列」に分かれます。

写真が前後しますが1の写真を見てもられば分かりますが本列の先頭を行くのは「乗尻」で行列を先導する騎馬隊です。次に「素襖」で行列の先払いをします。次は「看督長」で、今の巡査に当たります。続いて「検非違使志」で今の警察、裁判を司る人です。

次は「衛士」で衛門府の兵士、続いて「火長」で検非違使庁の下級役人です。次は「検非違使尉」は太夫尉で五位の判官です。この「本列」は「乗尻」〜「内蔵使」まで21の部署に分かれています。


行列は順序よく進んで行きます・・・


行列を見ていて、これが、どの部署に当たるのか分からなくなりました。



牛車がやってきました。これは俗に言う「御所車」ですが平安朝以来、今で言う乗用車として使われていました。これは勅使の乗用のものを行列を立派にするため引き出されたものだそうれすよ・・・